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若林区

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更新日:2017年8月4日

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寺めぐり「新寺あたり」

龍泉院(りゅうせんいん)

曹洞宗、円通山。現在は太白区宮沢の宗禅寺の末寺だが、江戸時代は天台宗定禅寺の末寺だった。
奥州藤原秀衡の創建ともいわれる古刹(歴史の古い寺)で旧仙台城大手門の下(現仙台国際センター付近)にあったが、永正13年(1516)に曹洞宗に変わり,慶長7年(1602)仙台城築城で現在地に移されている。
「仙台」の地名の起こりともいわれる千躰仏を祀る千躰仏堂がある。門前にある六地蔵は創建地にあったもので、幕末に「六道の辻」と呼ばれていた清水小路北目町通交差点付近に移され、のちに現在地に移転された。
龍泉院の写真

報恩寺(ほうおんじ)

浄土宗、真成山。増上寺の末寺。
昔は境内に蓮池があったことから、「蓮池報恩寺」とも呼ばれる。蓮池の跡は隣接する「蓮池公園」になっている。
弘化2年(1845)の火災で全焼し、再建された。金華山の弁財天との因縁が伝説として残る弁財天が祀られ、本尊の木造阿弥陀如来立像は市の指定文化財、その脇仏の二十五菩薩は市の登録文化財になっている。
報恩寺の写真

阿弥陀寺(あみだじ)

法王山正覚院と号する時宗の寺。神奈川県藤沢の清浄光寺の末寺。
建治3年(1277)、時宗開祖の一遍上人が奥州をまわった折、伊達政依(まさより)によって福島の伊達郡梁川町に開基。のち米沢を経て2代藩主伊達忠宗の時に現在地に移った。
観音堂は享保元年(1716)の建立,本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代の承久3年(1221)と銘がある県の指定文化財。仙台三十三観音十七番札所。
阿弥陀寺の写真

光寿院(こうじゅいん)

曹洞宗、喜雲山。北山の輪王寺の末寺。
天正7年(1579)に伊達政宗の祖父晴宗の夫人、久保姫(栽松院)が福島の信夫に慶昌院として開基。
天正末に名取の増田に移り、政宗が現在地に移した際に光壽院となった。天保4年(1833)の大飢饉の餓死者を埋葬した供養碑がある。同じものが河原町の桃源院、北山の大法寺の2寺にもあり、仙台の三叢塚(くさむらづか)と呼ばれる。
仙台三十三観音十八番札所。牡丹園が境内にあり、初夏には見物客でにぎわう。
光樹院の写真

成覚寺(じょうかくじ)

十劫山(じゅうごうさん)大乗院、浄土宗の寺。愚鈍院と同じく福島県双葉郡楢葉町の成徳寺の末寺。
室町時代に福島の伊達郡で開山し、伊達家とともに米沢、岩出山から慶長5年(1600)仙台の現在地に移る。
室町時代作の清海曼陀羅図(せいかいまんだらず)と、行基作といわれる平安時代の木造聖観音像は県の指定文化財。山門は榴岡にある三沢初子の墓所にあった霊屋門が明治初年に移されたもので、市の指定文化財になっている。
仙台三十三観音十六番札所。江戸時代の人気力士、玉垣額之助(文化11年、1814没)の墓がある。
成覚寺の写真

愚鈍院(ぐどんいん)

五劫山悟慎寺(ごこうさんごしんじ)愚鈍院といい、浄土宗の寺。成覚寺と同じく福島県双葉郡楢葉町の成徳寺の末寺。
政宗の知遇を受けた呑茶(どんちゃ)和尚により慶長7年(1602)開山し,元和3年(1617)に南町通東端から現在地に移った。境内にある古塚は、新寺小路の古名で古墳時代の遺跡と思われる八ッ塚のひとつという。また、呑茶和尚ゆかりの観音像は桜塚観音と呼ばれる。
仙台三十三観音十五番札所。推定樹齢250年のコツブガヤの木がある。普通のカヤの木よりも実が小さく葉も短い。
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妙心院(みょうしんいん)

曹洞宗、稲荷(とうか)山。松音寺の末寺。
政宗の母、保春院が天正3年(1586)に政宗の乳母喜多子のために山形の長井に開基。岩出山を経て現在地に移った。
2度の火災と区画整理で、本堂や山門などは新しく建てられた。院内の稲荷堂は昔から多くの人々の信仰を集めている。
寛政7年(1795)の銘が彫られた松尾芭蕉の蓑衣塚がある。芭蕉が仙台の真播東安宅に滞在の際、持ち歩いていた蓑衣が破れては困るというので預かったもの。のちに芭蕉が大坂で亡くなったためにその蓑衣を埋めて供養した塚である。
妙心院の写真

正楽寺(しょうらくじ)

仙台地方で浄土真宗最初の寺。北原山と号し、かつては大谷派に属したが今は単立。開山は笠島村(現・名取市)で、岩出山に移ったのちに日辺村(現・若林区)に移り、政宗が浄土真宗の宗寺と決め、現在地を得た。
明治22年(1899)に改修された本堂は、宝永5年(1708)の大火で焼けたのち享保5年(1720)に再建された木造瓦葺き。山門は若林城の裏門を寛永3年(1626)に移したものといわれている。
本堂、山門ともに古い木造で残っている数少ない寺のひとつ。藩から寄進された平泉中尊寺蔵王堂の古鐘がある。
この地に移ったときに植えられたという推定樹齢300年のイチョウの木がある。また、推定樹齢200年のクスノキがあり、これは香木として植えられたものという。
正楽寺の写真

善導寺(ぜんどうじ)

浄土宗、得生山。増上寺の末寺。天正5年(1577)に米沢で開山、岩出山を経て仙台大町に移り慶長15年(1610)頃に現在地に移転している。
2代藩主伊達忠宗の側室で3代藩主綱宗の母,得生院(左大臣櫛笥隆致くしげたかちかの娘,貝姫)の墓がある。
刀匠本郷国包(くにかん)の墓所がある。初代から13代までの墓が並んでおり,市の指定文化財になっている。
善導寺の写真

林松院(りんしょういん)

曹洞宗、昌峰山。松音寺の末寺。慶長12年(1607)開山。
林松寺の写真

林香院(りんこういん)

曹洞宗、天総山。福島の龍泰寺の末寺。
天正期(1573~95)に福島で開山し米沢、岩出山から現在地に移った。江戸時代に2度の火災があり、堂は新しく建て直されている。一般の人が参加できる座禅会が行われている。
仙台の児童文化、民俗文化の保護者、天江富弥の墓があり、隣には荒町小学校出身で天江の親友、童謡作家で詩人のスズキヘキの碑「よう」がある。
仙台七福神の弁才天像がある。弁財天は七福神唯一の女神で、智恵、音楽、金運の神といわれる。ここの弁才天には嘉永7年(1854)の銘があり、林香院の移転前からこの地に祀られていたといわれる。いまも学・芸・利の神として信仰されている。
林香寺の写真

洞林寺(どうりんじ)

曹洞宗、錦柳山。妙心院の末寺。正保2年(1645)開山。
平成2年につくられた仏足跡や,天保14年(1843)建立の華道,千家古流の花塚がある。
洞林寺の写真

東秀院(とうしゅういん)

曹洞宗、永福山。蔵王の保昌寺の末寺。寛永2年(1625)開山。
本堂には「因縁殿」と書かれた額があるが、これは伊達家祖先を祀った仙台城二の丸の因縁殿(いんねんでん)にあったもの。また山門脇に天保4年(1784)建立の飢饉供養塔がある。
東秀寺の写真

正雲寺(しょううんじ)

浄土宗、弘誓山。開山時は岩城の専称寺の末寺で、いまは増上寺の末寺。慶長15年(1610)開山。
四角い石をくり抜き「南無阿弥陀仏」と彫られた輪廻車が廻るようになっている石塔がある。また、八ッ塚の地名となった伝説をもつ八地蔵がある。
正雲寺の写真

大徳寺(だいとくじ)

浄土宗、成就山。福島県双葉郡楢葉町の成徳寺の末寺。元和2年(1616)開山。
大徳寺の写真

大林寺(だいりんじ)

曹洞宗、森城(しんじょう)山。北山輪王寺の末寺。天文元年(1533)伊達郡(現・福島県)で開山。米沢、岩出山を経て現在地に移った。
近くにあった西福寺が明治維新で荒廃。富山県に移転の際に堂などがこの寺に移され、檀家も引き受けられている。また、八ッ塚古墳のひとつが境内にあった。連坊小路小学校は明治19年(1886)この寺の境内で開校している。
仙台出身の詩人、土井晩翠の菩提寺であり、山門前には歌碑が立っている。仙台三十三観音十四番札所。推定樹齢250年のカヤの木がある。
大林寺の写真

松音寺(しょうおんじ)

号は五峰山。曹洞宗で、寛正年間(1460~66)に福島の伊達郡松蔵に伊達家の祖先、尚宗の手により開山された。
尚宗の隠居先の伊具郡丸森に移り、仙台開府で慶長7年(1602)に現在の連坊小路小学校の付近に移った。江戸から明治にかけて3度の火災にあい,明治21年(1888)に長泉寺を併合して長泉寺の敷地に移転している。昌伝庵(荒町)、泰心院(南鍛冶町)、輪王寺(北山)とともに仙台城下の曹洞宗四大寺のひとつで、御盃返上格。36の末寺を有していた。
山門は若林城の正門だったものを、伊達家から寄進されたといわれる。
創建時の松音寺の南には龍興院という寺があったが明治になり廃寺となって松音寺に併合された。龍興院の開山は大永年間(1521~25)とも天正年間(1573~92)ともいわれる。南に通じる参道跡には竹駒神社があったらしい。
仙台三十三観音二十三番札所。境内の観音堂にある如意輪観音は、現在宮城県仙台二華中・高等学校となっている地にあった真言宗遍照寺のもの。遍照寺は明治期に廃寺となり、観音像が松音寺に移された。
長享元年(1487)に亡くなった十二世伊達成宗、政宗の次男宗綱の墓がある。
江戸時代の女性文学者、只野真葛(まくず)と俳人、遠藤曰人(あつじん)の墓がある。第3代仙台市長,早川智寛の顕彰碑がある。
また、連坊小路小学校の正門わきには,松音寺にあった「不許葷酒山門(寺には酒を飲んで入ってはいけない)」の碑が残っている。
松音寺の写真

長泉寺跡(ちょうせんじあと)

現在の松音寺の南側には、かつて長泉寺という曹洞宗の寺があった。仙台開府以前には仙台城が築かれた青葉山にあったといわれ、開府以後は八ッ塚(新寺小路の旧地名)に移されたといわれる。
江戸時代に2度の火災にあい、明治維新後に荒廃して松音寺に併合され、長泉寺の場所に松音寺が移った。境内には古塚があり、旧地名のおこりの八ッ塚のひとつといわれる。新寺小路と連坊小路を結ぶ長泉寺跡の通りはいまも長泉寺横丁と呼ばれている。

道仁寺(どうじんじ)

称名山、浄土真宗大谷派で東本願寺の末寺。寛永3年(1626)開山。宝永5年(1708)の火災で寺の記録が失われ、詳しい歴史は不明。
本堂は昭和4年(1929)に再建されたもの。推定樹齢200年のタブノキがあるほか、本堂の前と裏手には推定樹齢200年のサクラの木、また、駐車場横には推定樹齢200年のシダレザクラがある。
道仁寺の写真

応瑞寺[おうずいじ]

正楽寺の門前横にある。浄土真宗大谷派。開山は天和2年(1682)とも貞享2年(1685)ともいわれている。

 

このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
参考資料一覧

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