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若林区

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更新日:2016年9月20日

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寺めぐり「連坊・木ノ下あたり」

栽松院[さいしょういん](連坊小路)

曹洞宗、号は耕徳山。松音寺の末寺。伊達政宗の祖父、晴宗の夫人久保姫(栽松院)の牌寺(位牌を納める寺)。政宗は栽松院が亡くなった根白石に寺を建てていたが遠いので、慶長6年(1601)に栽松院を創建して位牌を納めた。
境内には仙台の地名の起源となった千躰仏を納めた千仏閣がある。
また、推定樹齢1000年のシラカシの木がある。政宗はこの高くそびえる樫の木が気に入り、寺の地を決めたという。
栽松院の概観写真

保寿寺[ほじゅじ](連坊小路)

曹洞宗、福現山。七北田の洞雲寺の末寺。文安元年(1444)に国分氏が開基した。国分氏の牌所(位牌を安置する寺)。国分氏滅亡後も伊達氏により保護された。
かつては洞雲寺のそばにあり闕泉竜院(けっせんりゅういん)という名であったが、現在地に移り名も変わった。明治19年(1886)の東北線工事の際に境内が削られ、線路に重なった大杉稲荷大明神を寺の境内に移転し、大杉稲荷の大木は伐採された。仙台三十三観音二十二番札所。
保寿寺の写真

遍照寺跡[へんしょうじあと](連坊小路)

現在の仙台二華中学・高等学校の場所にあったが、明治になり廃寺になった。下野で開山して常陸の中村に移り、伊達家とともに長井、岩出山から慶長19年(1614)に仙台に来た。
真言宗豊山派で、弘法大師が唐から授けられた鈴などが、寺宝として高野山からこの寺に伝わっており、明治38年(1905)に帝室博物館に収められたという。三十三観音二十三番札所であった観音堂は明治22年(1889)松音寺に移された。廃寺になったあとに東華女学校が清水小路から移転し、のちに宮城第二女子高等学校となり、現在は仙台二華中学・高等学校となった。

瑞雲寺[ずいうんじ](連坊小路)

曹洞宗、金秀山。米沢の瑞雲院の末寺。文安元年(1444)に米沢で瑞巌寺という名で開山、岩出山を経て現在地に移った。慶長11年(1606)政宗が松島の円福寺を瑞巌寺としたときに、瑞雲寺となった。
境内の観音堂の如意輪観世音は慈覚大師の作といわれ、安産祈願で知られる。仙台三十三観音二十一番札所。
明治時代の落語家、都川歌之助の墓がある。歌之助は東京から仙台に来て興行をし、蕎麦屋や芸者置屋をやったあと、明治8年(1875)に仙台で割烹店を開いて評判になった。
俳人、松洞馬年の墓があり、同じ俳人の芝不器男(しばふきお)の句碑がある。
瑞雲寺の写真

法運寺[ほううんじ](連坊小路)

日蓮宗、広潤山。山梨の久遠寺の末寺。寛永14年(1637)に伊達忠宗が開基。
仙台藩士の青木友重は政宗の死去に際し殉死したが、弟の日悟はすでに出家しており、兄にかわり家を継ぐことを勧められたが僧籍にあることを理由に断った。その態度がたたえられ、2代藩主の忠宗が日悟のために法運寺を開いた。
境内には芸事の上達や浮気封じに霊験があるといわれる稲荷堂がある。
シダレザクラやサルスベリの花が有名。
法運寺の写真

冷源寺[れいげんじ](成田町)

浄土真宗大谷派、宝永山。慶安2年(1649)開山。江戸や関東一円、東海地方までその名が聞こえた仙台の侠客(きょうかく),丸屋忠吉の墓があり、その隣には忠吉がひいきにしていた力士,滝ノ音磯五郎の墓がある。滝ノ音は荒町の毘沙門天境内での相撲巡業中に病死したため,忠吉が自分の菩提寺に葬ったもの。本堂と山門は仙台市の登録文化財に指定されている。
日本のバレー舞踏界の先駆者である東勇作をたたえる記念碑がある。
冷源寺の概観写真

常林寺[じょうりんじ](三百人町)

浄土宗、若林山。東京芝の増上寺の末寺。1600年代前半の開山といわれるがはっきりしない。
明治6年(1873)、ここに仙台第1番小学校の「三百人町小学校」ができた。それが現在の荒町小学校になった。
常林寺の写真

陸奥国分寺[むつこくぶんじ](木ノ下)

真言宗智山派、護国山。行基の開基という。国分寺建立の詔(みことのり)で創建された当時は、18の伽藍、七重塔、300の僧坊、3000人の僧という規模を誇った。近くの国分尼寺とは渡り廊下で結ばれていた。
奥州藤原氏滅亡とともに荒れ寺となったが、国分盛行、盛重や伊達政宗の手で再興され薬師堂などが建てられた。木造の十二神將立像、不動明王立像、毘沙門天立像は県の指定文化財になっている。また、薬師堂は国の指定文化財、仁王門は県の指定文化財になっている。仙台最古の寺院。
仙台三十三観音二十五番札所。札所横に推定樹齢200年のヒイラギ、七重塔の回廊跡に推定樹齢200年のアラカシ、金堂跡の近くに推定樹齢200年のイチョウがそれぞれある。

国分尼寺[こくぶんにじ](白萩町)

曹洞宗、護国山。龍泉院の末寺。天平年間に聖武天皇の詔により建立された。
天台宗だったが元亀元年(1570)に曹洞宗に改宗した。本尊の木彫り聖観音は、恵心僧都の作といわれる。
仙台三十三観音二十四番札所。

保春院[ほしゅんいん](保春院前丁)

臨済宗、少林山。花園の妙心寺の末寺。寛永12年(1635)伊達政宗の生母、保春院(最上義姫)の13回忌に政宗が創建した。
一般の人が参加できる座禅会が開かれている。
幕末にアメリカに渡って見聞記を残した仙台藩士、玉虫左太夫(たまむしさだゆう)の墓がある。また、西南戦争で死刑になった人たちの墓がある。
推定樹齢250年のケヤキがある。
保春院の概観写真

 

このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
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