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若林区
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更新日:2024年11月19日
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もともとは土地の地主である針惣の屋敷神として祀られていたが、明治初期に廃絶されていた。戦後の昭和23年になって、町内の人たちが町の鎮守として手作りで建て直した。9月の第2土、日に例祭が行われ、御神輿渡御もあったが、いまは途絶えている。
伊達晴宗の守本尊を祀っている。町の守護神として慶長5年(1600)に米沢から移された。例祭は4月15日。
城下と南小泉村との境に祀られており、寛永3年(1626)に仙台城下の町割りに使った縄を埋めたことから名づけられたという。例祭は4月29日。
神社の由来は不詳。京都の松尾神社を祀ったという。
町の守護神で古くから信仰をあつめ、特に火防の神として信仰されている。200戸余りを焼失した明治10年(1877)の河原町大火後、火伏せの御神輿(おみこし)をつくってからは火事がなくなったという。
新弓ノ町は弓ノ町の弓衆が寛永14年(1637)以降この地に移されて割り出された。この神社は京都男山八幡宮を勧請したもので、境内の横には弓道場があったらしい。
境内には4代藩主綱村や5代藩主吉村に仕えた藩の重鎮、布施定安が祀られて布施大明神となっている。布施は、加増される時にここの弓足軽を取り立てを進言した町の恩人だった。
起源は不明。広瀬川の氾濫でたびたび起こる水害を防ぐため、人柱として地中に埋もれて即神仏となった修験者の伝説がある「行人塚(ぎょうにんづか)」の上にたつ。社は戦後になってから建造された。
河原町の広瀬川沿いにあり、由来は不詳という。
例祭は旧暦6月15日で、供物がキュウリなのは、木ノ下の須賀神社と同じで水難よけの御利益がある。祭では神楽や巫女舞があり、昔は木ノ下の御輿はここまでやってきて広瀬川に入って戻っていったという。
このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
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