現在位置 ホーム > 若林区トップページ > まちづくり > ここに技あり 江戸時代の職人さん・明治以降の職人仕事

若林区

ページID:15767

更新日:2022年6月21日

ここから本文です。

ここに技あり 江戸時代の職人さん・明治以降の職人仕事

若林区は、仙台市内では職人さんが多いところです。車で通り過ぎるだけではなかなかわかりませんが、訪ねれば町のあちこちで腕によりをかけて仕事をする職人さんと出会うことができます。江戸時代に生まれ、根づいた仕事が、時を経て受け継がれ、今日に伝えられているのです。

江戸時代の職人さん

江戸時代は、御職人(おしょくにん・藩に召し抱えられた職人)や町職人が、また足軽や下級武士が内職として、城下町でいろいろな手工業の仕事をしていました。御職人は切米(現金)や扶持米(米)をもらいながら、藩の御用を務めていました。町人町に暮らした町職人の職種は御職人とほとんど変わりはありませんでしたが、家禄は受けず、藩に税を収めなければなりませんでした。中には腕のよい職人もおり、藩の御用も務めたといいます。また足軽や下級武士たちも、生活のためにものづくりに精を出しました。現在、若林区となった町にも、たくさんの職人さんが暮らしていました。

明治以降の職人仕事

明治維新によって、御職人などは藩の保護と地位を失いました。けれども、下級武士や足軽の内職として始まった仕事のいくつか─堤焼、堤人形、埋木細工、松川達磨、仙台筆、仙台硯など─は専業の職人が残り、現在まで技術が継承されています。一方で、山屋敷象眼(やまやしきぞうがん)、仙台附木(せんだいつけぎ・木片に硫黄を塗ったもので火を起こすのに使った)、仙台蝋燭(せんだいろうそく)、仙台元結などは、消えてしまいました。

御職人・町職人の仕事と居住地

  • 大工/元寺小路、大工町など
  • 畳刺/畳屋町など
  • 鍛冶屋/北鍛冶町、米ヶ袋、南鍛冶町など
  • 挽き物(ひきもの・ろくろを使って作られる木製品)/琵琶首丁
  • 瓦/神子町、通町など
  • 染師/上染師町、南染師町など
  • 石工/石切町など
  • 団扇/荒町

このほか、塗師(ぬし)、屋根葺き、煙管貼り(きせるはり)、鋳物師(いもじ)、桶結(おけゆい・桶をつくる)、紙漉(かみすき)、絹機織(きぬはたおり)、表具師、兵具師(武具をつくる)、綿打(わたうち)、革師、竹細工、下駄、壁塗などの仕事をする職人がいました。

足軽や下級武士の仕事と居住地

  • 提灯(ちょうちん)/小田原、北田町、北七番丁~北十番丁、堤町など
  • 元結(もとゆい)/土樋、三百人町、六十人町、御霊屋下など
  • 傘/連坊小路、柴田町、三百人町など
  • 埋木細工(うもれぎざいく)/川内山屋敷
  • 染紙・提灯の上絵/土樋など
  • 畳糸/米ヶ袋、柴田町、三百人町など
  • 煙草/五十人町、三百人町
  • 火箸/川内山屋敷
  • 履物/角五郎丁、北五十人町など
  • 堤焼・堤人形/堤町
  • 仙台筆/連坊小路、三百人町など

このほか、漆器や編笠、箒(ほうき)などをつくっていました。

明治維新によって、御職人などは藩の保護と地位を失いました。けれども、下級武士や足軽の内職として始まった仕事のいくつか─堤焼、堤人形、埋木細工、松川達磨、仙台筆、仙台硯など─は専業の職人が残り、現在まで技術が継承されています。一方で、山屋敷象眼(やまやしきぞうがん)、仙台附木(せんだいつけぎ・木片に硫黄を塗ったもので火を起こすのに使った)、仙台蝋燭(せんだいろうそく)、仙台元結などは、消えてしまいました。

若林区内に残る江戸時代以来の伝統

現在若林区となっているところは、足軽町や町人町が多かったところです。戦災にほとんどあわなかったこともあって、技術が受け継がれ、いまも伝統技能や伝統工芸品を見ることができます。「南鍛冶町」「南染師町」といった町名もそのまま残っていますから、江戸時代にどんな職人さんがそこに暮らしたかを想像することもできるでしょう。
昭和49年に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」ができ、昔から伝わる技を保存伝承する大切さが法的にも認められるようになりました。また57年には「宮城県伝統工芸品振興対策要綱」が発表され、仙台箪笥、仙台釣竿、仙台筆などがその対象となっています。

仙台箪笥

幕末から明治初めにかけて、原形が生まれたといわれています。
大正時代に入る頃には最盛期を迎え、遠くヨーロッパにも輸出されました。この頃に「仙台箪笥」の名が普及したようです。ケヤキの木目を活かした美しい塗りと豪快な打ち出し金具に特徴があります。箪笥づくりは、指物師、塗師、金具師の分業で行われます。
区内では、こうした職人さんがそれぞれ独立して仕事をしながら、協働で仙台箪笥の製作に取り組んでいます。

  • 仙台箪笥伝承館 門間箪笥店
    若林区南鍛冶町143 電話222-7038
  • 八重樫仙台タンス金具工房
    若林区下飯田字屋敷北164 電話289-2491
  • (有)佐正家具店
    若林区木ノ下4-8-16 電話291-5588
  • 石沢塗工店
    若林区連坊2-1-40 電話256-6398

門間箪笥店の写真

門間箪笥店

門間箪笥店の写真

門間箪笥店

八重樫仙台タンス工房の写真

八重樫仙台タンス工房

(写真提供/仙台市観光交流課)

仙台筆

仙台筆伊達政宗が、慶長19年(1614)、大阪の小村又兵衛を御用筆師として召し抱えたのが始まりです。又兵衛の子孫は宮城野萩を使った筆をつくり出す一方で、筆師の育成にも務めました。足軽たちが内職で筆づくりを始め、明治以降も盛んに行われて、明治末の仙台には300を超える毛筆製造者がいたといいます。
仙台筆は書きよく長持ちするのが特徴で、宮城野萩を軸に使った萩筆と、明治時代初期につくられた萩、松、薄(ススキ)、葦(ヨシ)、蓼(タデ)の5種類を軸につかった五色筆が特産品でした。連坊小路や三百人町では、旧士族のほとんどが筆をつくっており問屋も数多くありました。現在は荒町と三百人町に製造、販売の店が残っています。

  • 松泉堂
    若林区三百人町157 電話293-2759
  • 大友毛筆店
    若林区三百人町112 電話256-5420
  • (株)おかや
    若林区荒町213 電話262-1061
  • 西川玉林堂
    若林区荒町201 電話223-8217

仙台筆の写真

仙台竿

伊達政宗の時代から製造法が受け継がれてきました。
材料には、宮城県産の真竹や高野竹の質のよいものだけが用いられ、200もの工程を経て完成されます。
仙台竿は何本もの竹を継いでいながら、まるで1本の竹のようにしなり、しなり方も先は固く胴は柔らかいため、抜群の使いやすさをつくり出します。竹の地肌をそのままにした関東の竿と違って総漆で仕上げられ、美しく堅牢で長い愛着に応えてくれます。

  • 竿政
    若林区南鍛冶町106-2 電話227-0374

仙台竿の写真

染物

南染師町では、主に木綿の藍染が行われてきました。明治時代の末には北海道に販路を開き、大きく発展しました。
藍染は、藍草を発酵させたものに木綿の布を入れて染めるもので、流水に染物をさらすのに七郷堀が利用されました。こうした風景は戦後も見られたものです。今は流すことはほとんどなくなりましたが、堀には水面に下りる階段がつけられているのを見ることができます。
今も周辺には染物屋が点在しています。

  • ほまれや
    若林区舟丁64 電話221-6411
  • 武田染工場
    若林区南材木町42 電話223-3254
  • (株)永勘染工場
    若林区南染師町13 電話223-7054
  • (有)川村染工場
    若林区南染師町50 電話222-2467
  • イシイ株式会社
    若林区卸町2丁目7-6 電話284-2211

染物の写真

埋木細工

約500万年前に埋もれた樹木が地圧と熱で炭化してできた埋木は、古くは名取川のものが有名で、香炉の灰として珍重されていました。工芸資材として用いられたのは、文政5年(1822)、仙台藩の足軽、山田周吉が竜の口渓谷で見つけたものを細工物にしたのが最初といわれています。
その後、川内山屋敷の足軽の内職として行われました。最盛期だった明治中頃から大正時代にかけては、市内に130人を超える職人がいたといいます。固くてもろい埋木を掘り込み、漆塗りを繰り返して木目をきわだたせる工法は独特のものです。かつては、空を羽ばたく鷹の置物が名産品として有名でした。若林区内でも近年まで茶托、ブローチ、カフスボタンなどがつくられていました。

埋木細工の写真

こけし

東北の温泉場で、子どもたちのための木地玩具として生まれたこけしは、いまでは11の系統に分かれるほど表現が多様で、味わい深い工芸品として人気があります。
昭和56年に「宮城伝統こけし」として「鳴子こけし」「弥治郎こけし」「遠刈田こけし」「作並こけし」の4系統が通産大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。
若林区内には作並系のこけしをつくる職人さんがいます。

  • 加納こけし店
    若林区沖野3-8-32 電話286-0564

こけしの写真

荒町は、慶長8年(1603)年に、藩から麹の専売権を与えられた町でした。
若林城の造営にともない寛永4~5年(1627~1628)に現在地に移りましたが、地下水の水質が良いこともあって麹をつくる店が増えていきました。文政10年(1827)には、55軒の麹屋があったといいます。
有名な回文師の仙台庵(細谷勘左衛門)も麹屋の主人でした。明治35年(1902)に酒税法が実施されて酒用の麹製造ができなくなったため、味噌や醤油の製造に転業する店があいつぎました。
現在は残る麹屋は創業が慶長8年の1軒のみとなりました。また、荒町には、造り酒屋もあります。

  • 佐藤麹味噌醤油店
    若林区荒町27 電話222-4712
  • 森民酒造本家
    若林区荒町53 電話266-2064

仙台駄菓子

仙台では藩が茶道を奨励したこともあって茶菓子が数多くつくられていましたが、その技術が広まる中で、販売用の駄菓子が生まれました。仙台駄菓子最古の熊谷屋は、元禄8年(1695)といいます。
穀物や木の実をたっぷりと用い、しかも甘く仕上げられた駄菓子は、いかにも食べごたえがあって庶民に人気があったのでしょう。昭和30年代に入ると「仙台駄菓子」として、全国的に流通するようになりました。各地にいろいろな駄菓子がありますが、これほどたくさんの種類のそろう産地はあまりないようです。

  • 石橋屋
    若林区舟丁63 電話222-5415

 

このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
参考資料一覧

お問い合わせ

若林区役所まちづくり推進課

仙台市若林区保春院前丁3-1 若林区役所4階

電話番号:022-282-1111

ファクス:022-282-1152