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更新日:2023年1月17日

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解き明かされる若林城

建物跡はどのような建物だったのか?

若林城を描いた絵図はいくつか残されていますが、それらは全て廃城後の姿を描いたもので、当時の城内にどのような建物があったかは長い間謎でした。これを解き明かす資料として江戸時代初期の仙台城二の丸の御殿建物を描いた『御二之丸御指図(おんにのまるおんさしず)』があります。

二の丸の建物のいくつかは若林城の建物を移築したものとされていますが、絵図に描かれた「大台所(おおだいどころ)」と「焼火の間(たきびのま)」の規模や構造が1号建物と3号建物に極めて似ており、これらが若林城にかつて存在した建物であることがわかってきました。両建物は二の丸では格式ある建物とされ、若林城においてもまた表御殿を構成する極めて重要な建物であったと考えられます。

さらに、松島にある瑞巌寺庫裏(ずいがんじくり=台所)は慶長14年(1609)に政宗により造営された桃山建築を代表する豪壮な建物ですが、規模や構造が1号建物とほぼ同じなことから、若林城の「台所」もこのような建物であったと想像されます。

画像 仙台市二の丸大台所部分『御二之丸御指図(宮城県図書館所蔵)』

写真 瑞巌寺の庫裏

他にどのような施設があったか?

今後も調査は続きますが、これまで発見した遺構から推定すると、表御殿の建物群は城の西側を中心に広く存在し、建物の間には池などを配した中庭などもあったとみられます。また、現在のところ、南側や東側には建物などが確認されていないことから、この地区には城郭や御殿などに伴う庭園が広がり、大規模な回遊式の池などが存在している可能性があります。東側にあり、政宗が朝鮮より持ち帰ったとされる「臥竜梅(がりゅうばい)」もそのような場所に植えられていたかもしれません、さらに政宗は茶の湯や能楽などにも造詣が深く、今後の調査では茶室や能舞台など、政宗の晩年の暮らしぶりを知る発見が期待されます。

写真 天然記念物 朝鮮ウメ(臥竜梅)

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