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更新日:2016年9月20日

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若林城関連年表

 

西暦

年号

若林城・城下関連のできごと

仙台藩の主なできごと

若林城
造営

16世紀後半

(戦国期)

国分氏の小泉城とその城下が存在[仙台領古城書上・東奥老士夜話]

 

1593

文禄2年

 

政宗、文禄の役で出陣

1602

慶長7年

 

仙台城がほぼ完成する

1615

元和元年

 

大坂夏の陣に参陣する

1625

寛永2年

政宗、若林に出向く

忠宗が初めて国入りする

若林城期

1627

寛永4年

「仙台屋敷構」=若林城に幕府の造営許可が下りる[伊達家文書]
政宗、石母田宗頼に若林城とその城下普請の指示をする[伊達家文書]
若林城建設のための木材が、本吉・気仙地方より運ばれる
政宗、工事に伴う萱や人足の調達を命ずる[伊達家文書]

政宗、花壇屋敷より江戸参勤に出立

1628

寛永5年

若林城が完成し、祝の儀が催される[貞山公治家記録]

江戸城の石垣普請を命じられる

1629

寛永6年

若林城の西曲輪において茶会が催される[貞山公治家記録]
若林城下の高札に米売買に関する指示が出される[石母田家文書]

 

1631

寛永8年

木綿商人に若林城下の「絹布町」で販売するよう指示が出される[貞山公治家記録]

 

1624~1636

寛永年間

若林町奉行が置かれる[石母田家文書]

 

1636

寛永13年

政宗、遺言で若林城の取り壊しを命じ、江戸で死去する[貞山公治家記録]
若林にあった御帳蔵の火災で元和年間の検地帳を焼失する[義山公治家記録]

江戸城の外掘普請を命じられる

1638

寛永15年

仙台城二の丸建築に伴い、若林城建物の一部を移築する[義山公治家記録・茂庭家記録]

寛永年間?に「御二之丸御指図」が作成される

1639

寛永16年

若林城および城下が廃止され、以後小泉村分となる[石母田家文書・仙台鹿の子]

 

若林城

廃城後

1640

寛永17年

 

寛永の総検地が開始される

1645~1646

正保2~3年

 

奥州仙台城絵図(正保絵図)が作成される

 

万治以前

忠宗、旧若林城下の北に「御仮屋」を造営する[封内風土記](養種園遺跡)

 

1658

万治元年

 

忠宗死去、綱宗三代藩主となる

1671

寛文11年

 

「伊達騒動」(寛文事件)おこる

1673

延宝元年

琵琶首にあった焔硝蔵で爆発があり、焔硝蔵を若林に移す[仙台鹿の子]

 

1680

廷宝8年

綱宗、旧若林城内にあった薬園へ行く[肯山公治家記録]

 

1687

貞享4年

焔硝蔵の爆発で人足8人が死亡、鉄砲薬1,600貫余りが失われる[貞山公治家記録]

 

1692

元禄5年

綱宗、「御仮屋」の地に別荘(小泉屋敷)を造営する[貞山公治家記録]

 

1741

寛保元年

北側の堀を用水のために整備する[獅山公治家記録]

 

1742

寛保2年

若林城が再び城下に組み込まれる[源貞氏耳袋]

 

1748

寛延元年

宗村、若林城に立ち寄り、薬園守のもてなしを受ける[忠山公治家記録]

 

(1751~1771)

(宝暦~明和)

 

※若林城を描いた最も古い城下絵図(宝暦~明和)

1868

明治元年

 

奥羽越列藩同盟成立・仙台藩降伏

刑務所

関係

1878

明治11年

西南戦争国事犯の収容のため、監獄の建設に着手する(※六角塔の建設)

 

1879

明治12年

宮城集治監が設置される

 

1922

大正11年

宮城監獄を宮城刑務所とする

 

1965~1973

昭和40~48年

六角塔の解体

 

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