若林区
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更新日:2016年9月20日
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若林区河原町と太白区長町を結ぶ橋。明治42年(1909)、日本初の鉄筋コンクリート橋が架けられました。この橋は昭和34年に架けかえられ、さらに平成4年にバルコニーの付いた現在の橋になっています。
長町は江戸時代からにぎわったところで、奥州街道が通り、対岸の河原町との行き来のため長町渡戸が置かれていました。
寛文8年(1668)には初めて木橋が架けられましたが、永町橋(ながまちばし)とも呼ばれたこの橋は何度も洪水で流され、明治になってからも17年、22年、41年に流失する被害にあっています。
橋のたもとには、流失の歴史を物語る「橋姫明神」の碑があります。
昭和11年(1936)には仙台市電が長町まで開通しましたが、当時は広瀬橋の横に市電の線路専用の橋が架けられていました。
東北新幹線のために架橋され、昭和57年の大宮・盛岡間の開業で、広瀬川の上を新幹線が渡りました。
昭和60年には上野、平成3年には東京まで延長されています。
東北本線は明治20年(1887)に上野・仙台・塩竈間が開通、明治24年に青森まで全線が開通しました。
また、昭和35年には貨物線も開通しています。
若林区若林二丁目にある旅立稲荷の下流の岸は、「ネギ洗いの瀬」と呼ばれていました。
かつては堤防のない河原で、六郷あたりから河原町の市に野菜を売りに行く人々がネギや大根などを洗ったため名づけられたといわれています。
若林2丁目から4丁目にかけての川岸に続く河川公園です。5.6ヘクタールを超える敷地には、野球場や広場、サイクリングコースなどが整備されています。
昭和40年に完成した橋で、全長310メートル。国道4号線の仙台バイパスが通っています。
千代大橋の下流に架かる仙台圏工業用水道の橋で、水道管は名取市の熊野堂から仙台港までの約38キロを結んでいます。
昭和54年に整備された千代大橋下流左岸に広がる河川公園。広場や野球場、ゲートボール場などがあり、広さは約2.8ヘクタールに及びます。
若林緑地と並び、災害時の広域避難場所にもなっています。
仙台南部道路が通り、東北自動車道の仙台南インターチェンジと仙台東部道路の若林ジャンクションを結んでいます。
平成5年に完成し、全長370.6メートルは広瀬川に架かる橋で最長です。
千代大橋の下を流れた広瀬川は、若林区日辺(にっぺ)で名取川に合流します。この日辺という地名は、アイヌ語で「川が合わさる」という意味とされています。
付近には広い川原や湿原が形成され、幅広い川が平坦な平野部をゆっくりと流れて太平洋に注ぎます。
平成3年に仙台東部道路のため架けられました。若林区今泉と名取市閖上を結んでいます。
名取川の河口近くに昭和47年に架橋。県道塩竈亘理線が通り、若林区藤塚と名取市閖上を結んでいます。
全長は540メートルに及び、名取川に架かる橋では最長。
このページは、仙台開府400年を記念して実施した「若林区の魅力発見事業」で平成14年度に製作しました。
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