現在位置ホーム > おうちで楽しむ仙台市博 > おうちで楽しむ展覧会―重要文化財指定記念    「伊達家文書と藩主の印章」

ページID:47467

更新日:2023年3月3日

ここから本文です。

おうちで楽しむ展覧会―重要文化財指定記念    「伊達家文書と藩主の印章」

 仙台藩主・伊達家に伝えられた古文書(こもんじょ)と印章(いんしょう)

おうちで楽しむ展覧会について

当館の所蔵資料である「伊達家文書」と「伊達家印章」(ともに伊達家寄贈文化財)が、このたび国の重要文化財に指定される運びとなりました。

そこで、これを記念して、当館で令和2年4月1日から5月31日まで行った特集展示の一部を、皆さまにご自宅でもご覧いただけるようご紹介します。

このたびの指定が、中世の伊達氏から仙台藩にいたる歴史と文化をあらためて考える機会となれば幸いです。

「伊達家文書」と「伊達家印章」について

「伊達家文書」は、仙台藩主・伊達家に伝来した文書群です。当館所蔵の約11,300通(和歌などの書跡類を除く)のうち、鎌倉時代から江戸時代初期(初代藩主・伊達政宗期)までの1,046通が指定対象です。中世の伊達氏、さらには中世の東北地方を研究する上で、第一級の史料群として評価されました。

「伊達家印章」は、仙台藩主・伊達家に伝来した印章127顆(か)と、その印影を集成した印譜(いんぷ)44通が指定対象です。5代藩主・伊達吉村(よしむら)を除き、初代藩主・政宗から13代藩主・慶邦(よしくに)まで歴代12人の藩主の印章があり、仙台藩の歴史や当時の意匠(いしょう)、藩主の趣向などがうかがえる貴重な資料です。

このページでご紹介する資料(いずれも重要文化財)

伊達家文書

  1. 足利尊氏(あしかが たかうじ)袖判御教書(そではんみぎょうしょ)
    伊達孫三郎(だて まごさぶろう)入道道西(にゅうどうどうさい)宛
  2. 北条氏康(ほうじょう うじやす)書状 伊達晴宗(はるむね)宛
  3. 蘆名盛氏(あしな もりうじ)起請文(きしょうもん) 伊達輝宗(てるむね)宛
  4. 伊達政宗(だて まさむね)書状(自筆) 宛所不明

伊達家印章

  1. 伊達政宗(だて まさむね)所用印章
  2. 伊達重村(だて しげむら)所用印章

 

YouTubeでもご覧いただけます

奥州・仙台おもてなし集団「伊達武将隊」が、これら資料の特集展示「伊達家文書と藩主の印章」をご自宅で楽しんでいただけるよう、YouTubeで紹介しています。伊達武将隊の皆さんと一緒に展示を見ているようで楽しく、また、分かりやすく学べる動画です。ぜひご覧ください!

YouTube(伊達武将隊公式チャンネル)の以下のページでご覧いただけます。

「政宗がゆく!」仙台市博物館 伊達家文書&印章編

 ※動画制作:伊達武将隊(伊達武将隊公式ホームページ(外部サイトへリンク)

詳しくは、「トピックス(令和2年5月4日)」をご覧ください。

 

足利尊氏(あしかが たかうじ)からの戦功証明書

足利尊氏袖判御教書(そではんみぎょうしょ) 
伊達孫三郎(だて まごさぶろう)入道道西(にゅうどうどうさい)宛
建武3年(1336年)9月26日

 


のちに室町幕府の初代将軍となる足利尊氏が、但馬国(たじまのくに、兵庫県北部)の伊達道西(だて どうさい)の軍忠をほめたたえて認め、恩賞を与えることを約束した文書です。
文書の袖(右端)に尊氏の花押(かおう)が見えます。
但馬伊達氏は、奥州伊達氏とも関係があったことが知られますが、詳しいことは分かっていません。

 

捻封(ひねりふう)の跡が残る文書

北条氏康(ほうじょう うじやす)書状 伊達晴宗(はるむね)宛
(永禄3年・1560年ヵ)8月8日

 

相模国(さがみのくに)小田原城(神奈川県小田原市)の北条氏康が初めて伊達氏へと送った書状です。
右側の写真は、この書状を包んで封をするための封紙(ふうし)です。現在の封筒に当たります。
遠く離れた土地ではあるが、今後お互いに通交したいと述べ、詳しい内容は晴宗の重臣2名に委ねると記しています。
捻封(ひねりふう)の跡が封紙の上下に残っており、保存状態のよさがうかがえます。

捻封の跡とは?

←封紙を開くと、上下に見える×(バツ印)のようなシワが捻封の跡です。

古文書の折り方・封の方法

上で紹介した捻封など、古文書の折り方や封の方法には、いくつかの種類があります。
ここでは、中世の伊達家文書で多く確認される方法を紹介します。

捻封の折り方を動画で見てみませんか。以下のページでご覧いただけます。

YouTube「政宗がゆく!」仙台市博物館 伊達家文書&印章編(※動画制作:伊達武将隊)

  1. 文書の基本的な折り方

    左端から丸めて、端を合わせて上からつぶすように折る。
  2. 文書のみを使った封の方法

    切封(きりふう)
    文書の右端に切込みを入れて作ったひもで封をする。切封の後、別の紙を使って封をすることが多い。
  3. 別の紙を使った封の方法

    折封(おりふう)
    少し大きめの紙で文書を包み、上下の端を折って封をする。
    上のみ、あるいは上下に紙捻(こより)を掛ける場合もある。


    捻封(ひねりふう)
    大きめの紙で文書を包み、上下の端を後方に折ったのち、さらに2度折り返してひねったように封をする。
    これに紙捻をかけて固定する。

 

戦国期奥羽(おうう)の起請文(きしょうもん)の代表例

蘆名盛氏(あしな もりうじ)起請文 伊達輝宗(てるむね)宛
永禄9年(1566年)正月10日

 


起請文は、当時の誓約書のこと。
永禄7年(1564年)以来、伊達氏と疎遠になっていた会津黒川城(福島県会津若松市)の蘆名盛氏は、嫡男(ちゃくなん)の盛興(もりおき)と伊達輝宗の妹との縁組によって婚姻同盟を結び、和睦を実現させました。

この起請文は、その和睦に当たって取り交わされたものです。
盛氏の花押の部分には血判(けっぱん)も見えます。

起請文とは?

起請文は約束事などを神仏に誓う誓約書です。その本文は次の2つから構成されます。

  1. 誓約内容を記す前書(まえがき)
  2. 神仏の名前を列記して、うそ・偽り(いつわり)があったら神罰・仏罰を受けると記す神文(しんもん)

起請文は、12世紀前半(平安時代後期)頃から事例が見え始め、江戸時代まで引き継がれていきました。
寺社から発行される厄除けの護符(ごふ)(牛玉宝印(ごおうほういん))の裏側が、起請文を記す紙として主に用いられました。また、誓約者の誠意や強い意志を表すため、花押の近くに血をたらす「血判(けっぱん)」が行われる場合もありました。

 蘆名盛氏起請文に使われた牛玉宝印(裏側から見た様子)

 

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)と対面したぞ!

伊達政宗書状(自筆) 宛所不明
(天正18年・1590年)6月14日

 

天正18年6月9日、政宗は小田原参陣(おだわらさんじん)の際に関白(かんぱく)の豊臣秀吉と初めて対面しました。
この文書は、留守を預かる家臣にその時の状況を伝えた政宗自筆の手紙です。
秀吉との対面後、茶の湯に誘われ、名品の茶器などを拝見したと記されています。
また、追伸では、花押を書き損じたけれども自身の書状に間違いないとも記されています。

現存する初代藩主・伊達政宗の印章

伊達政宗所用印章
桃山時代(17世紀)

伊達政宗の印判状(印章を捺(お)した文書)の調査によって、政宗は少なくとも32種類の印を使用していたことが確認されています。
印章の形状は丸型や正方形、長方形、鼎(かなえ)型などがあり、印文も「政宗」「藤原氏」といった姓名のほか、「富」「福宝(ふくほう)」「龍虎(りゅうこ)」「龍納(りゅうのう)」といった文字、獅子やネズミの図柄など、実にバラエティーに富んでいます。
それらの中でも伊達家に伝来して現存している印章はこの4顆(か)のみであり、非常に貴重な資料となっています。

※当館内での実際の展示資料は左から2つ目のみです

7代藩主・伊達重村(しげむら)の印章

伊達重村所用印章
江戸時代後期(18世紀)

 

入れ子状になっている、7代藩主・伊達重村の印章です。
マトリョーシカのように、大きい印章の中に小さい印章が収まり、コンパクトに収納できるように作られています。
複数の面に印文が彫られ、印文には「静寿(せいじゅ)」「糿(※)秋蘭(しゅうらんをむすぶ)」「志在千里(こころざしせんりにあり)」などの文字が見えます。
この印章の素材には、蠟石(ろうせき)とよばれる加工しやすい石が用いられています。

※糿のつくりの刀には、左側に点がつきます

展示資料リスト

重要文化財指定を記念して行った特集展示「伊達家文書と藩主の印章」(期間:令和2年4月1日から5月31日まで)において展示した資料のリストです。

展示資料リスト(PDF:150KB)

 

このページの先頭へ戻る

 

 

 

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをダウンロードしてください。Adobe Readerのダウンロードページ