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更新日:2023年11月14日
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伊達政宗の命で作られた用水路で、本流が広瀬川から梅田川に通じ、3本の支流と多くの枝流がありました。城下町をくまなく流れ、当時は防火用水、散水、洗濯用水などの生活用水や水車動力などの産業用水として用いられました。明治以降、上下水道の整備により生活用水としての利用は減少し、次第に暗渠化が進みました。特に昭和以降には、車社会の到来で水路にフタがされることにより、地上から姿を消す部分が多くなりました。
現在の四ツ谷用水は、本流が宮城県の工業用水道(暗渠)として使用されているだけで、その他の支流は暗渠化されているか埋められています。遺構としては、洗い場跡(八幡2丁目)、旧隧道跡(八幡6丁目:文殊堂入口脇に隧道への作業口が見られる)等があります。
(1)四ツ谷堰にて広瀬川から取水(青葉区郷六) |
(2)開口部(青葉区郷六) |
(3)本流跡(大崎八幡宮太鼓橋下) |
(4)洗い場跡(青葉区八幡2丁目) |
(5)支倉堀跡(青葉区星稜町) |
(6)宝蔵院橋の放流口(青葉区福沢町) |
四ツ谷用水を広く知っていただき、その記憶を将来の世代に継承できるよう、四ツ谷用水を歩く会やフォーラムなどのイベント、デジタルマップの掲載、常設展示やVRなど関連情報のご紹介等を行っています。
詳しくは、せんだい環境Webサイトたまきさん|四ツ谷用水再発見事業(外部サイトへリンク)をご覧ください。
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